徳寿宮(덕수궁、トクスグン)は、19世紀末の李朝末期の時代、朝鮮第26代王である高宗(고종、コジョン)が建国した大韓帝国の歩みとともにあった王宮です。このため、この王宮の敷地内には近代建築の建物が残り、ソウル市内の他の王宮とは異なる独特の雰囲気があります。
徳寿宮は、ソウル市庁のすぐ隣りに位置する少し小さめの王宮ですが、高宗の時代には慶運宮(경운궁、キョンウングン)と呼ばれ、今と比べて2倍以上の面積があったと言われます。高宗が王位から退いたのち、高宗の長寿を願って「徳寿宮」と命名されたと言います。
今回は、そんな徳寿宮に行く前に知っておきたいこととして、徳寿宮の歴史やその魅力、そして徳寿宮の見どころ(フォトスポット)について解説します。
徳寿宮に行く前に知っておきたいこと!
(原本へのリンク)
今でこそ李氏朝鮮(1392年〜1910年)の王宮の1つとして知られている徳寿宮ですが、かつてこの王宮の敷地には李朝王家の邸宅がありました。それは今から500年以上も昔、朝鮮第7代王の世祖(セジョ、在位1455年〜1468年)がその妻のために建てた邸宅だったと言われます。その後、第9代王の成宗(ソンジョン、在位1469年〜1494年)の兄・月山大君(ウォルサンテグン)がこの邸宅を所有し、そのまま子孫の邸宅となったようです。
朝鮮建国以来、李朝の王宮としては、正宮である景福宮があり、離宮である昌徳宮がありました。しかし、これらの宮殿は、16世紀末の秀吉による文禄・慶長の役(1592年、1598年)で被災します。そうした時代に、第14代王・宣祖(ソンジョ、在位1552年〜1608年)が臨時の王宮として使用したのが、かつて月山大君が使用したこの邸宅でした。
当初は、月山大君の邸宅部分と周辺の民家とを合わせて貞陵洞行宮(ジョンヌンドン ヘングン)と呼ばれたようです。行宮とは王の臨時宿所を意味します。これを第15代王の光海君(クァンヘグン、在位1608年〜1623年)が王宮として再建し、慶運宮(경운궁、キョンウングン)と命名され、数年間、王宮として使われました。その後、昌徳宮が再建されると、1610年に慶運宮は王宮としての役目を終え、その規模も縮小されていったと言います。
そんなかつての慶運宮が、歴史の表舞台に再び登場するのは、300年近い年月が過ぎてからのことです。
19世紀終わりの李朝末期の時代、第26代王・高宗(コジョン、在位1863〜1897年)は、1896年から1年間ほど、ロシア公使館を王の居る拠点としていたことがありました。それは、日本軍らにより景福宮で起こった閔妃暗殺事件(乙未事変、1895年)の後のことです。日本の影響から逃れるため、高宗はロシアに助けを求めたのです。
19世紀終わりの李朝末期の時代、第26代王・高宗(コジョン、在位1863〜1897年)は、1896年から1年間ほど、ロシア公使館を王の居る拠点としていたことがありました。それは、日本軍らにより景福宮で起こった閔妃暗殺事件(乙未事変、1895年)の後のことです。日本の影響から逃れるため、高宗はロシアに助けを求めたのです。
高宗はロシア公使館に滞在しながら、そのすぐ隣の敷地にある慶運宮を王宮として復元しました。さらに1897年、高宗は大韓帝国を建国し、皇帝として即位すると、慶運宮を王宮としたのです。高宗が大韓帝国の皇帝として在位していた1907年までの期間は、慶運宮が歴史の舞台となったわけです。
しかし、この20世紀初頭の時代は、李朝の最期の時代ともなりました。慶運宮は1904年の大火でほとんどの殿閣が焼失したといいます。続く1905年に日韓保護条約が締結されたのは、慶運宮の重明殿(チュンミョンジョン)と呼ばれるロシア風の建物でした。
その後、高宗は、1907年に第27代王・純宗(スンジョン)に皇帝の位を譲りました。純宗は昌徳宮へと王宮の居場所を移し、慶運宮は、そこに残る高宗の長寿を願って「徳寿宮」と命名されました。
その後、1910年からの日本植民地時代を通じて、徳寿宮の敷地は、半分以下の規模に縮小されました。
このような歴史を持つ徳寿宮は、もともとは邸宅だったものを王宮とし、その後、近代式の建物も建てられたこともあって、少し整然としない形や配置をしているように思います。こうして現代に残る徳寿宮の記憶は、大韓帝国の高宗の時代に代表されています。近年、徳寿宮とロシア公使館とを繋ぐ「高宗の道」が復元されており、今後も、徳寿宮の残りの敷地やロシア公使館の復元も計画されています。
徳寿宮の主な歴史1469年頃、月山大君(第9代王の成宗の兄)が邸宅として使用1593年、第14代王・宣祖が臨時の王宮として使用1608年、第15代王・光海君が慶運宮と命名、数年間生活1610年、再建した昌徳宮へ移る1863年、第26代王・高宗即位1865年、景福宮再建1894年、日清戦争後、親日派台頭1895年、親露派重用、景福宮で閔妃暗殺事件(乙未事変)1896年、高宗がロシア公使館に移御1897年、高宗が慶運宮を改修し還宮、大韓帝国成立1904年、日露戦争
徳寿宮の見どころ(フォトスポット)
大漢門(テハンムン)
(原本へのリンク)
大漢門(대한문、テハンムン)は、徳寿宮の正門です。もともとは大安門(テアンムン)という名前で東門だったそうですが、20世紀初めに交通の便の良さから正門として利用されるようになりました。
中和殿
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中和殿(중화전、チュンファジョン)は、徳寿宮の正殿です。1904年の火災で消失したのちに、1906年に再建されました。建物内部の天井に2匹の龍が描かれているのが特徴です。
石造殿・徳寿宮美術館
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石造殿・徳寿宮美術館は、1910年に完成した石造殿と、その隣の徳寿宮美術館からなります。石造殿は、予約観覧制です。徳寿宮美術館は、韓国近代美術等が展示されています。
重明殿(チュンミョンジョン)
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重明殿(중명전、チュンミョンジョン)は、1897年に王室図書館として建設され、その後、高宗の執務室や外国使節の謁見室としても使用されたロシア風の建物です。1905年の日韓保護条約た締結の舞台にもなりました。日本植民地時代には破損され、現在の建物は2010年に復元されたものです。
トルダムキル(石垣道)
(原本へのリンク)
トルダムキル(돌담길)は、石垣の道という意味で、正門の大漢門から徳寿宮の外壁に沿って歩くことができる散策路です。
徳寿宮のまとめ
- 徳寿宮:大韓帝国時代に用いられた李朝の王宮
- 行き方:ソウルの地下鉄1号線市庁駅2番出口から徒歩1分
- 平日の月曜は休業
- 所要時間:30分程度
- 営業時間:9時から21時
- 入場料:大人1,000ウォン、子供500ウォン
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