高麗時代(918年〜1392年)のことを知るためには、高麗の首都があった開城(개성、ケソン)に行ければよいのですが、残念ながら、現在、北朝鮮にある開城への観光は中断されています。

開城市は、北朝鮮南西部の黄海北道にある人口約30数万人と言われる中核都市です。かつては、商業の中心だったとされ、世界遺産に登録された遺跡も存在しています。

ソウルにも近いため、2000年代に入り南北共同で開城工業団地の開発も進められていましたが、こちらも残念ながら現在は中断されています。

今回は、そんな、今は行くことのできない開城についてまとめてみました。



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高麗の建国と首都「開城」の歴史

高麗(こうらい、고려)は、918年から1392年まで朝鮮半島に存続していた国家です。その首都は「開京」であり、現在では「開城」と呼ばれています。

高麗を建国したのが、初代王の王建(왕건、ワンゴン)です。建国前の当時、朝鮮半島は新羅末期の後三国時代で内戦状態にあり、その中で王建は開城/松嶽を本拠としていた豪族で、後高句麗の将軍でした。優秀で人望が厚かったと言われます。

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後高句麗の都は、開城よりはるか東の江原道鉄円(現在の鉄原、地図)にありました。そのとき、後高句麗の王(901年即位)は弓裔という人物でしたが、彼は失政や暴虐を重ねていて民衆の不満が高まっていました。

王建は918年に反乱を起こして王に推戴し、弓裔の勢力を継承して高麗を建国しました。翌919年に首都を故郷・松嶽に遷し、開城郡と松嶽郡を合わせて開州と改めました。

後に開城または開京と呼ばれたこの王都は、高麗後期にモンゴルの侵攻を受けて江華島へ遷都した30年間を除き、5世紀にもわたって高麗の都となりました。

その後、高麗が滅亡し、李氏朝鮮を建国した李成桂により都は漢城(現ソウル)に遷されました。



開城について知っておきたい7つのこと!


①開城はソウルの都市圏に位置する

開城市は、現在は南北軍事境界線のため韓国側からの自由な往来ができませんが、地理的に最もソウルに近い北朝鮮の主要都市です。


開城の中心部
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開城の市域の東がそのまま軍事境界線になっています。その軍事境界線上の板門店(パンムンジョム)から開城の市街地までの距離はたったの8kmなのだそうです。

このため日帝時代には、開城は、鉄道の敷設により京城(現ソウル)に直結していました。京城への通勤・通学もできる距離だったようです。

2000年代には、南北の融和が進んだ中で、ソウルから開城への鉄道が修復されました。2007年年12月からは、韓国側の汶山(ムンサン)駅と北朝鮮側の板門駅との間で、貨物列車が、1日1本運行されていたこともあります(その後、2008年11月28日に中断)。


②その名のとおり、ずっと昔から城があった

開城は、その都を城壁で囲んだ城郭都市で、現在でも市内に城壁と城門が残っているようです。

しかも、その地域を百済(4世紀前半〜660年)が支配していた時代、既に「冬比忽(동비홀、トンビボル)城」と呼ばれていたとのことですから、はるか昔から城だったとのこと。

統一新羅時代の757年になって、地名を漢字名にして「開城郡」と改められたのだそうです。なお、市街地の方は「松嶽郡」だったとか。


③開城の観光とその中断

今は中断されているのですが、2007年12月から1年近い間、韓国側からバスで開城の観光ができる時期がありました。

韓国人だけでなく、外国人もパスポート所持により観光できたとのことです。

2008年11月28日をもって開城観光は中断されてしまいました。また、いつか再開される日がくるのでしょうか。


④市内には高麗時代の遺跡が多く残る

韓国側から入国して観光できなくなってしまったのが残念ですが、開城には、高麗時代と李氏朝鮮時代に由来する遺跡が残っています。

高麗時代の城壁、王陵、教育機関などは、2013年に「開城の歴史的建造物群と遺跡群」として世界遺産に登録されました。

高麗成均館という博物館、王建王陵、観音寺、開城南大門、善竹橋という石橋などが、歴史的な見所なのだそうです。

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高麗王宮は、残念ながら基礎部分だけが残っていて「満月台」といいます。

次のサイトに、詳しくまとめられていますので、それで気持ちだけでも観光した気になれるかもしれません😄




⑤高麗人参の産地

開城は、高麗の首都であっただけあって、高麗人参(朝鮮人参)の産地です。

高麗人参を原料とした人参酒は、北朝鮮の主要な輸出品となっています。


⑥周囲の山は松が多いらしい

開城の市街地は、松の多い山に囲まれており、松都」と呼ばれることもあるそうです。

そのうち1つが、松嶽山(海抜489m)です。



⑦開城工業団地の開発とその中断

韓国政府の協力によって2000年代以降、南北共同の工業団地「開城工業地区」が建設され、特区としての運営が行われました。

軽工業が盛んだったとのことで韓国企業も多く進出しましたが、その後の韓国との関係悪化により、現在は工業団地の生産が停止されています。




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