まもなく北京で冬季オリンピックが開催されますが、韓国といえば、ショートトラックの強さが思い起こされます。なぜこんなに強いのでしょうか。
それは国を挙げての強化が実った結果と言われますが、その第一期生と言える選手として、数々のメダルを獲得し、冬季五輪のレジェンドとなった選手がいました。それがキム・ギフン選手です。
ショートトラックが試験種目だった1988年のカルガリー五輪大会を含めれば、彼は3大会連続で金メダルを獲得しています。今回の記事では、韓国のショートトラックがどのように強くなっていったのか、そして、その当時の歴史とともに栄光をつかんだキム・ギフン選手について紹介します。
キム・ギフン選手

(原本へのリンク)
冬季五輪での韓国の孝行種目はショートトラック!
4年に一度の冬季オリンピックで、韓国選手の強さを見せつけられる種目と言えば、何といってもショートトラックです。現在のショートトラックの個人戦は距離別に3種目あり、それぞれ500m、1000m、1500mの距離を4人または6人の選手が同時に滑り、先にゴールすることを競い合う競技です。一方、団体戦のリレー種目は、1チーム4人で各選手が順にタッチをつなぎながら、チーム間で先にゴールすることを競い合います(詳しい競技ルールは→JOCホームページ)。
その競技コースは、1周111.12mの周回トラックで、1周の距離が非常に短いことから「ショートトラック」と呼ばれています。カーブの曲がり方は自ずときつくなるため、滑走にはコーナリングの技術が要求されます。
さらに、アイスリンクの上を選手たちが密集して高速で滑走するショートトラックは、コースの奪い合いが勝負を左右すると言われます。単に速度を競い合うタイム競技ではなく、勝負を仕掛けるタイミングなどの駆け引きが必要となる競技だと言われます。
この種目が1992年のアルベールビル五輪大会で正式種目になって以来、韓国は多くのメダルを獲得してきました。これまで獲得した金メダル31個のうち24個は、ショートトラックで獲得したものです。
冬季五輪の韓国選手団の成績(1988年以降)
開催年 | 開催場所 | 金メダル | 銀メダル | 銅メダル | メダル計 |
1988 | カルガリー | 0 | 0 | 0 | 0 |
1992 | アルベールビル | 2 | 1 | 1 | 4 |
1994 | リレハンメル | 4 | 1 | 1 | 6 |
1998 | 長野 | 3 | 1 | 2 | 6 |
2002 | ソルトレイクシティ | 2 | 2 | 0 | 4 |
2006 | トリノ | 6 | 3 | 2 | 11 |
2010 | バンクーバー | 6 | 6 | 2 | 14 |
2014 | ソチ | 3 | 3 | 2 | 8 |
2018 | 平昌 | 5 | 8 | 4 | 17 |
合計 | 31 | 25 | 14 | 70 |
1992年大会の当時、冬季オリンピックのメダルが一つもなかった韓国に初のメダルをもたらしてくれたのは、氷上種目であるスピードスケート、そしてショートトラックでした。この年の4つのメダルのうち3つがショートトラックのメダルで、このショートトラックの2つのメダルの色は「金」でした。
それ以降、韓国の氷上種目、その中でも特にショートトラックは、冬季オリンピックで”確実”にメダルが取れる韓国の孝行種目になりました。
韓国の冬季五輪競技別メダル数
競技 | 金メダル | 銀メダル | 銅メダル | メダル計 |
ショートトラック | 24 | 13 | 11 | 48 |
スピードスケート | 5 | 8 | 3 | 16 |
フィギュアスケート | 1 | 1 | 0 | 2 |
スケルトン | 1 | 0 | 0 | 1 |
カーリング | 0 | 1 | 0 | 0 |
スノーボード | 0 | 1 | 0 | 0 |
ボブスレー | 0 | 1 | 0 | 0 |
計 | 31 | 25 | 14 | 70 |
韓国のショートトラックが短期間に強くなった理由は、国を挙げて集中的にこの種目の強化を図ったからでした。
韓国は、1985年冬季ユニバーシアードを起点としてショートトラックの可能性を視野に入れ、戦略的に選択と集中を通じてこの種目を育成してきました。ショートトラックは、翌年の1986年冬季アジア大会で正式種目に採択され、1988年カルガリー冬季五輪では試験競技に採用されました。
この1988年冬季五輪大会の試験競技、続く1992年、1994年冬季五輪大会の正式競技で連続して金メダルを獲得した韓国の選手がいます。その選手がキム·ギフン選手でした。
冬季五輪初の金メダリスト、キム・ギフン選手!
1980年代に韓国ショートトラックの強化が図られたといっても、最後にメダルを獲得するのは選手個人です。この時代に韓国ショートトラックの最初の1ページを描き、1990年代前半までオリンピックを含む数々の国際大会でたくさんのメダルを獲得した選手が、キム・ギフン(김기훈/金琪焄)選手でした。キム・ギフンは、1967年にソウル市中区で生まれました。彼は体力が弱かったため、小学生の頃、父親に連れられてアイススケートを習ったのが始まりだったと言います。
彼はスピードスケートの長距離選手として活動していましたが、高校時代にショートトラックに転向しました。 そして、1984年にショートトラックの最初の国家代表選抜戦に出場して、韓国代表として選抜されるようになりました。
彼は泰陵(テルン)選手村(リンク)での厳しい訓練を重ね、世界のトップ選手たちをビデオ映像で分析するなどの努力を続けて、1988年のカルガリー冬季五輪の1500メートル試験種目で金メダルを獲得しました。
現在の泰陵選手村(ソウル北東部にある)
(原本へのリンク)
その後の彼の活躍は、けがで負傷していた一部の期間を除き、目を見張るものでした。
1989年の冬季ユニバーシアードでは3つの金メダルを獲得し、じん帯負傷という大ケガから復帰して臨んだ1992年のアルベールビル冬季五輪では、彼は個人と団体で2つの金メダルという、記録にも記憶にも残る伝説をつくることになりました。
まず彼はこの大会の1000メートル決勝で、先輩かつライバルであるイ·ジュンホ選手と他国2選手に勝利し、韓国初の冬季五輪金メダリストとなりました。一周111.12mのトラックを9周するこの種目で、2周目の最後でトップに躍り出た彼は、最後まで危なげなくトップを維持し、ゴールの瞬間を迎えました。それは完全な勝利でした。
同大会の1000メートル決勝の様子
(ゴールの瞬間は1:45頃)
(ゴールの瞬間は1:45頃)
続く5000メートルリレーは、韓国チームのアンカー走者として彼は出場し、決勝戦の最後のゴールの瞬間に2位から逆転するという劇的勝利を飾りました。彼が残り2周で最後の走者を引き継いだとき、1位のカナダとは2~3メートルほど距離が開いていました。しかし、徐々に距離を詰め、最後のコーナーを曲がり終えた瞬間に1位の選手と並び、ほんのわずかな差でゴールして、団体戦でも金メダルを獲得したのです。
このゴールの瞬間に彼が使ったテクニックが、片足を前に突き出したままゴールするものでした。スケート靴のエッジがフィニッシュラインを切った瞬間をゴールに判定するというルールに則って、彼が考案したものと言います。こうして彼は団体戦でも鳥肌の立つような逆転勝利を収めたのでした。
同大会の5000メートルリレーの様子
(リレーは4:26頃から。逆転ゴールの瞬間は10:05頃)
(リレーは4:26頃から。逆転ゴールの瞬間は10:05頃)
このアルベール冬季五輪の後、同年に米国デンバーで開かれた世界選手権でも彼はショートトラックの全種目を制覇し、さらに 2年後の1994年リレハンメル冬季五輪でも、再び1000メートルで金メダルを獲得して、五輪での同一種目2連覇を達成しました。
その後1998年に選手生活から引退した後は、蔚山科学大学教授や、韓国代表チームコーチを務め、優秀な選手を輩出しています。2018年に行われた平昌冬季五輪の開催期間には、江陵選手村長を務めており、今に至るまで韓国ショートトラック、そして冬季五輪に影響を及ぼしています。そんな彼はショートトラックのレジェンドを越えて、冬季五輪のレジェンドといえる存在なのではないかと思います。
参考文献
- ナムウィキ「ショートトラックスピードスケート(韓国語)」
- ナムウィキ「キム・ギフン(ショートトラック)(韓国語)」
- ウィキペディア「オリンピックショートトラックメダリスト目録(韓国語)」
- ウィキペディア「オリンピックの韓国選手団」
- IOC公式サイト「韓国ショートトラックの先駆者、キム・ギフン」(韓国語)(リンク)
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