ソウル観光の定番コースといえば、ソウル最大の古宮である景福宮(キョンボックン、경복궁)は欠かせないでしょう。
しかし、景福宮は朝鮮王朝を代表する宮殿として、今でこそ堂々とした姿をしていますが、李氏朝鮮500年の歴史の中で失われていた期間が長く、正宮として使われていた期間は半分以下に過ぎなかったことをご存知でしょうか。
今回の記事では、そんな景福宮の歴史や魅力、そしてその見どころについて解説いたします。
しかし、景福宮は朝鮮王朝を代表する宮殿として、今でこそ堂々とした姿をしていますが、李氏朝鮮500年の歴史の中で失われていた期間が長く、正宮として使われていた期間は半分以下に過ぎなかったことをご存知でしょうか。
今回の記事では、そんな景福宮の歴史や魅力、そしてその見どころについて解説いたします。
景福宮の歴史と魅力~行く前に知っておきたい基本知識~
景福宮は、李氏朝鮮時代(1392〜1910年)の幕開けとともに作られた、朝鮮王朝を代表する第一の王宮であって、韓国の原点ともいえる場所です。韓国大統領が政治を行っていた青瓦台も近くあり、景福宮の正門「光化門」の前に広がる光化門広場は、政治の中心地でもありました。
王宮全体はほぼ南向きに作られ、その敷地は多少南北に長い長方形で、宮内の建物は”正宮”らしく平然と整えられています。王宮の広さは、34万m2あって、東京ドーム7つ分ほどの広さです。現在のソウルにある5つの王宮の中でも最大規模を誇ります。宮殿の背後には北岳山(プガクサン)が見え、それらを南方から眺めた景色は迫力があります。
王宮全体はほぼ南向きに作られ、その敷地は多少南北に長い長方形で、宮内の建物は”正宮”らしく平然と整えられています。王宮の広さは、34万m2あって、東京ドーム7つ分ほどの広さです。現在のソウルにある5つの王宮の中でも最大規模を誇ります。宮殿の背後には北岳山(プガクサン)が見え、それらを南方から眺めた景色は迫力があります。
<光化門広場から景福宮を臨む>
そんな景福宮は、朝鮮王朝の建国者である李成桂(イ・ソンゲ)が、新王朝の首都を漢陽(ハニャン、現在のソウル)に定めたのち、その都市建設とともに造られた李朝第一の宮殿でした。高麗王朝を滅ぼした李成桂は、側近である鄭道伝(チョン・ドジョン)の主導のもとで、仏教を廃して儒教思想による国造りを目指します。景福宮は、そうした儒教の理想に則り、王たちが暮らす華麗さよりも、素朴さの中に国家の気品を示すものとなりました(参考:「景福宮」、韓国観光公社)。
しかし、景福宮は朝鮮王朝の初期より正宮であったものの、木造であったため火災に会いやすく、建国200年後の秀吉の朝鮮出兵(1592年)の際には昌徳宮とともに焼失してしてしましました。その後も、景福宮は財政上の理由もあって再建できず、昌徳宮のみが1609年に再建されて、長い間、正宮として使われていました。
景福宮が再建されるのは、それから270年も経たのちのこと。朝鮮末期の1865年に、高宗の父である興宣大院君が、廃墟となっていた景福宮を再建します。しかし、そうして景福宮が正宮の座に戻ったのも束の間、そこで閔妃殺害(1895年)といった歴史上の事件が繰り広げられます。
景福宮が再建されるのは、それから270年も経たのちのこと。朝鮮末期の1865年に、高宗の父である興宣大院君が、廃墟となっていた景福宮を再建します。しかし、そうして景福宮が正宮の座に戻ったのも束の間、そこで閔妃殺害(1895年)といった歴史上の事件が繰り広げられます。
その後、第26代王である高宗がロシア公使館へ身の安全を求めて避難したのちは、景福宮が再び正宮の座に戻ることはありませんでした。
日本植民地時代には、景福宮の敷地内に朝鮮総督府が建てられました。現在の景福宮の姿は、1990年以降に旧総督府の建物が解体され、正門である光化門等が復元されたもの。それは思った以上に、最近の出来事でした。
日本植民地時代には、景福宮の敷地内に朝鮮総督府が建てられました。現在の景福宮の姿は、1990年以降に旧総督府の建物が解体され、正門である光化門等が復元されたもの。それは思った以上に、最近の出来事でした。
そんな現在の景福宮の正門である光化門をくぐって中に入れば、その敷地内に王がかつて生活した建物と庭園が広がり、その造形の美も見事です。そこではドラマの撮影もよく行われます。ただし、現在の建物は、高宗時代にあった約500棟の建物のうち5分の1ほどだと言われ、韓国政府は現在も景福宮の復元事業を続けています。
そんな李朝の王たちの希望と絶望が入り混じる景福宮は、ソウル観光でまず行っておくべきところと言って良いでしょう。
景福宮の歴史
1392年、李成桂(イ・ソンゲ)が李氏朝鮮の初代王に即位
1394年、漢陽(現在のソウル)に遷都
1395年、景福宮が李氏朝鮮の正宮となる
1397年、漢陽の城郭と四大城門が完成
1553年、大火により焼失
1592年、文禄の役の際に焼失し、廃墟となる
1609年、再建された昌徳宮が正宮となる
1865年、高宗の父(興宣大院君)により再建
1910年、韓国併合
1926年、王宮の敷地内に総督府完成
1948年、大韓民国成立
1968年、光化門復元(総督府の建物があったため、正確な位置ではなかった)
1996年、旧総督府解体
2006年、光化門撤去
2010年、光化門復元(第1次復元事業終了)
2030年、第2次復元事業終了予定
景福宮の見どころ(フォトスポット)
景福宮の正門である「光化門」、正殿である「勤政殿」とその前に広がる石畳の大広場、造形美が見事な池と庭園にある「慶会楼」と「香遠亭」は必ず見ておきたいスポットです。
光化門(クァンファムン):王宮の正面入口となる正門です。
勤政殿(クンジョンジョン) :言わずと知れた王宮の正殿です(国宝 第223号)。
慶会楼(キョンフェル) :池に浮かぶ祝宴用の楼閣です(国宝 第224号)。
香遠亭(ヒャンウォンジョン) :香遠池に架かる細長い橋と二階建ての建物です。
景福宮のまとめ
- 李氏朝鮮時代(1392~1910年)の正宮(全体写真はこちら)
- 王の政務の場であり、王の生活の場であった
- ソウルの地下鉄3号線景福宮駅出口から徒歩3分、地下鉄5号線光化門駅出口から徒歩6分
- 平日の火曜は休業
- 所要時間は2時間程度
- 営業時間は9時から17時〜18時半(季節により変動)まで
- 入場料は大人3000ウォン、子供1500ウォン
景福宮への行き方
地下鉄の最寄り駅は以下のとおりです。金浦空港や仁川空港からもバスや空港鉄道が出ています。- 地下鉄7号線・光化門(クァンファムン/광화문)駅 ➡ 光化門広場を通って景福宮へ
- 地下鉄3号線・景福宮(キョンボックン/경복궁)駅 ➡ 景福宮の最寄り駅
- 参考記事:光化門・市庁エリアへの行き方
景福宮の観光をより楽しむためには
- 守門将交代儀式のイベント(10:00、14:00、月曜を除く)
- 日本語無料ガイト(10:00、12:30、14:30)
- デジタル音声案内機器のレンタル
- 韓服(チマチョゴリ)を着用して行くと入場料無料
周辺施設を紹介!
- 光化門駅の地下にある大型書店「教保文庫」に寄るのも良い!
- 三清洞(삼청동、サンチョンドン)も徒歩圏!
- 仁寺洞(인사동、インサドン)、明洞(명동、ミョンドン)へのアクセスが良い!
景福宮のお勧めサイト
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