慶熙宮(경희궁、キョンヒグン)は、韓国ソウルにある5大王宮の1つで、李氏朝鮮時代(1392年~1910年)の後期に李朝の王たちにより西の離宮として使われた宮殿です。現在の慶熙宮は、ソウル市による宮殿跡地の発掘調査を経て、2002年に正殿一帯を復元したもので、本来の規模
韓国の歴史
李朝末期の高宗の願いが宿る「徳寿宮」を解説!
徳寿宮(덕수궁、トクスグン)は、19世紀末の李朝末期の時代、朝鮮第26代王である高宗(고종、コジョン)が建国した大韓帝国の歩みとともにあった王宮です。このため、この王宮の敷地内には近代建築の建物が残り、ソウル市内の他の王宮とは異なる独特の雰囲気があります。
なぜ江華島は歴史的な島となったのか?歴史的な観光スポットも6つ紹介!
江華島(강화도、カンファド)と言えば、1876年に日本と朝鮮が日朝修好条規(江華島条約)を締結した場所として有名です。それは、当時の朝鮮王朝を開国させた条約でありながら、朝鮮側が不利な条件の不平等条約であったとして将来の禍根を残すことにもなりました。現在の
ソウルオリンピックが開かれた躍動の時代を振り返る
来年に開催が延期されることとなった東京オリンピックの例から見てもわかるように、夏季オリンピックというのは、国を挙げて行う一大イベントです。今から30年以上も前の1988年の9月17日、ソウルでは、第24回夏季オリンピックの開催式が行われました。この時代は、韓国が
朝鮮王朝の建国者「李成桂」を知るための6つのポイントをわかりやすく解説!
李氏朝鮮(1392年〜1910年)を建国した朝鮮王朝の初代王は、李成桂(이성계、イ・ソンゲ)です。太祖(テジョ)とも呼ばれます。朝鮮王朝の成り立ちを知るためには、李成桂を知る必要があると思います。そこで、今回の記事では、李成桂についてわかりやすくまとめてみました。
釜山の歴史は?その歴史を知るためのスポット4つも紹介!
釜山(부산、プサン)は、韓国の近代化とともに成長した、人口350万ほどの規模を誇る韓国第2の都市です。南東の海に面した海の玄関として韓国一の貿易港を抱えています。それだけ日本までの距離も近く、歴史的に日本と深い関係を有しています。今回は、釜山の歴史をまと
復元された「清渓川」の今と昔。清渓川博物館も紹介!
ソウル市内を流れる川と言えば今でこそ漢江(ハンガン)ですが、李氏朝鮮の時代(1392年〜1910年)、その首都・漢城(現ソウル)を流れる川は清渓川(청계전、チョンゲチョン)でした。現在のソウルの中心部を流れる清渓川は、今でこそきれいに整備されて市民の憩いの場となって
正祖が造った城郭都市「水原華城」とは?観光に行く前に知っておきたいことを紹介!
ソウルから南へ電車で1時間ほどの水原(スウォン)市には、朝鮮王朝後期に造られた都城「華城(ファソン)」があります。その城郭は全長5.7kmであり、城郭に沿って歩くことができます。世界遺産に登録されているだけあって、観光地として優れた建築美を備えているだけでなく
北朝鮮の北境「鴨緑江」は歴史的戦いの地!中国へ渡る橋はどうなっているの?
鴨緑江(おうりょくこう、압록강)は、北朝鮮の北西部にあって中国との国境に沿って流れる大河です。そのはるか昔、この川を中国側へと渡れば敵の領土という時代がありました。このため鴨緑江は歴史的な戦いの舞台にもなっています。現在では、鴨緑江には中国へと渡る
「昌慶宮」は昌徳宮につながる東向きの王宮!
ソウルにある5つの王宮の中で昌徳宮(チャンドックン)の陰に隠れて、行かずじまいになりやすい宮殿、それが昌慶宮(チャンギョングン)かもしれません。もともとは、正宮の景福宮(キョンボックン)に対して、東方の離宮として昌徳宮が作られ、さらにその東隣りに造られたのが